2011年11月25日金曜日

さすが終身名誉監督や

終身名誉監督、ひさしぶりに紙面でそのお名前、拝見しました。お元気そうでなによりです。私が新入社員の頃に部課長と飲みに行くと、「長○さんは、本当にヒーローだった」みたいなことをよくききました。人のオーラは同じ時代を生きた人にしかわからないと思うので、その人たちが一様に称賛される監督は本当に「ヒーロー」だったんだろうなぁと、本気で思います。


そして、監督が現役の頃を知らない私には、そのヒーローっぷりは、やはり実感をもってはわからず、むしろ「失敗は成功のマザー」とか「魚偏にブルー」という名言を残されたイメージが強いのですよ。


語彙の多さは、その文化においてどれだけ意識されているかを示すといえます。四方を海に囲まれた日本で魚を表す語彙が非常に多岐に渡るのもうなずけます。逆にいうと、その事物・事象に対する意識が低いと対応する言葉がうまれず、語彙数も少なくなります。余談ですが、古代では魚を「ナ」と読みました。これは「菜」と同音です。食べ物という点で山菜と魚に差異を見出してない文化レベルでは「ナ」ということばで双方を表して十分だったのです。

で、こんなことを書いていて他に日本語でいろいろな語彙がある言葉ってなんかあったかなーと考えていたら、ありました。切腹、詰め腹、腹切、諌め腹、自害、自決、殉死、諌死、心中、玉砕、特攻、自爆……、まだまだでてきますが、そう全部「自殺」の表現です。スチュアート=ピッケン教授は、これらの豊かな語彙が存在していることなどから、日本に自殺を促す倫理が潜んでいると指摘します。

実際、日本の自殺が多いことは有名です。2009年のWHOのデータからは世界で5番目に自殺が多い国となっています。自殺の多寡にはその国の倫理感・宗教感が大きく左右しているようで、概して自殺を禁じる宗教への帰依が強い国は自殺率が低く、宗教を否定した共産主義を国是とした国などは反対に自殺率が高いのが見て取れます。

では、日本について、まず倫理面はどうでしょう。とりあえず、自殺観で思いつく書といえば、新渡戸稲造著「武士道」とルース=ベネディクト著「菊と刀」あたりでした。穢れなき心を顕示したり、自尊心を満たす為であったり、忠義の間の葛藤の結果であったり、いずれにしても、賛美される余地あるものとして「切腹」が書かれています。つまり、社会的に必ずしも自殺=悪ではなく、むしろ同情的であったり賞賛の対象ですらあったと。

次に、宗教の側面はどうでしょうか。世界3大宗教のうち、キリスト教とイスラム教は自殺を禁じています。唯一神により定められた命を自儘にする自殺を(そして、もちろん他殺も)神への反抗・反逆として、決して許さないのです。
一方仏教でも「不殺生戒」や「後生の一大事」のように原則、自殺を禁じています。でも、他の2宗教より強制力はないと思うのですよ。インドのアンベードカルは不殺生(アヒンサー)の定義を、仏陀の「何者も殺そうと欲することのないようすべてを愛せ」という言葉を根拠に、「殺すなではなく、愛せだ」と、つまり、「禁じているのは殺しの為の殺しであり殺す必要があるのに殺すことは禁じていない」としました。他にも仏陀のエピソードでバッカリ比丘の安楽死を認めちゃったり、他者救済の為や悟りを開くための自殺は菩薩行として讃えちゃったりします。決して自殺を地獄へ行く重罪と断罪するだけでなく、修行として昇華したり、因果として許したりする余地があると読めるのです。

というわけで、私としては日本は倫理・宗教感において自殺を許容する点があるという結論にいたりました。そうすると、自殺希望者への説得ってなかなか難しいですね。私だと「ならぬものはならぬのです。」としか言えないかなぁ。
宗教・倫理面で強い抑止力が期待できないのであれば一番効果があるのは、その人が憧れる人物、ヒーローからの一言でしょうか。そういえば、国民的ヒーローの終身名誉監督がこんなお言葉を残されています。


『みんないいな!何事も諦めるな!いいか!人生はGive upだ!!』


……、あれ?


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